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信頼と信用



『信頼』とか『信用』とかにあまり重きを置きすぎて、重くなっていませんか? 『信頼』とか『信用』という言葉には、期待、投影、ジャッジメント、そしてそれに対する迎合、同意、分離、反応、反発の臭いがプンプンします。 『信頼』、『信用』ということに、『期待』するから、裏切られたように感じます。 でも、そもそも、その『信頼』とか『信用』には、知らず知らず自己の期待、投影、ジャッジメントが重なっていて、さらに迎合、同意、分離、反応、反発、ジャッジメントがビッチリとまといついています。 人の『信頼』、『信用』に応えようとしすぎると、それはあなた本来の『Being』ではなく、 人の期待や投影、ジャッジメントに迎合、同意、反応、反発をして、『Beingness(偽りの仮面)』を創ることになってしまいます。もし何かを『信頼』、『信用』するのなら、10秒ごとにしてみたらどうでしょう? 人の『信頼』、『信用』に応えようとし過ぎなければ、あなたにどんな可能性がひろがるでしょうか? 今、浮上したもの全てを破壊してアンクリエイトしますか? 

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