信頼と信用
『信頼』とか『信用』とかにあまり重きを置きすぎて、重くなっていませんか? 『信頼』とか『信用』という言葉には、期待、投影、ジャッジメント、そしてそれに対する迎合、同意、分離、反応、反発の臭いがプンプンします。 『信頼』、『信用』ということに、『期待』するから、裏切られた...
ジャッジメントがあってもいいよ。それに振りまわされなければ。
『感覚』が鋭いのと、『アウェアネス』があるのとは別なんじゃないかな。 どんなに『感覚』が鋭くても、それを知らず知らずのうちに『ものの見方』で『着色』、『脚色』してしまえば、『ジャッジメント』に囚われて重くなっちゃう。 ...
青い眼鏡の世界は
青い色した眼鏡を通した世界は青い。 赤い色した眼鏡を通した世界は赤い。 眼鏡を外して見た世界は、 さて何色だろう? 今、浮上したものすべてを破壊してアンクリエイトしますか? #ものの見方 #ジャッジメント
何が軽い?
「正しい」とか「間違い」だとか、「良い」とか「悪い」とか、そんな「ジャッジメント」を基準に「選択」していると、どこまでも「ジャッジメント」があなたを追いかけ、あなたを「重く」するでしょう。 何があなたにとって「軽い」? 何があなたに、とって「重い」?...
ジャッジメントとアウェアネス
ジャッジメントをアウェアネスと誤認誤用しているところ、アウェアネスをジャッジメントと誤認誤用しているところ、すべてを破壊してアンクリエイトしますか? #ジャッジメント #アウェアネス #誤認誤用
それは偽りの自分
自分の「ものの見方」を正しいものだと固執していると、他の人のもつ「もののみかた」を、ついつい正しくないものと見なしてしまいます。 10人いれば、10の立場、10の「ものの見方」があります。あなたにも、もちろん、あなたの立場、あなたの「ものの見方」があります。 ...
優劣をつけなきゃダメ?
和食が優れているか、それともイタリアンが優れているか?それともフレンチ? そんな議論はどうでもいい。好きな時に好きなものを食べればいいだけじゃないかな? 無限の可能性として、ただすべてをなんのジャッジメントなしに受け取ることができると知っているのにどんな愚かさを使って、...
劣等感を愛している?
本当は無限の存在して、優越感も劣等感も単なる面白いものの見方だと気づいているのに、どんな愚かさを使い、それに気づかない振りをして、惨めな自分を演じ、そんな役にも立たない自己虐待、自分を苛(さいな)む劣等感を後生大事に価値のあるものとして愛しているのですか?...
自分であること
偉ぶる必要もなければ、卑下する必要もない。 他の誰かを自分よりも大きく扱う必要もなければ、自分よりも小さく扱う必要もない。 単なる面白いもの見方を基にした比較の中に自分の価値を見出すのではなく、ただ、ただ、自分自身であること。 どんな愚かさを使い、他の誰かを上にしたり...